インタビュー

立山町に決めたのは「偶然」と「縁」

  • 富山県

富山県立山町


お名前川端 里枝
現在(←移住前)の職業立山町地産地消加工施設( ← 保育士、建設会社勤務 )
現在(←移住前)の住まい富山県立山町( ← 大阪府高槻市 )
移住を検討し始めた年齢36歳
移住年月2012年

大阪府高槻市生まれ、高槻市育ち。保育士を経て、家業である建設会社に勤務し、結婚後も夫婦で勤務していました。

両親が仕事を退くことになり、次は自分たちで…と考えましたが、両親のようにはやれない、という最終的な決断をしました。
「じゃぁ、これから先どうしようか」と考えたとき、夫婦で老後はいなか暮らしがしたいと話していたので「それなら思いきって移住しよう!」と決めました。時期が早まっただけ。父の「やってもダメならまた考えればいい」という言葉にも背中を押されました。

立山町に決めたのは「偶然」と「縁」

京都、岐阜と距離を伸ばし、移住先を探し始めました。富山県に来たのは「立山黒部アルペンルート」が印象にあったから。「富山県」というより「立山」「黒部」のイメージが強かった。そして初めて立山町に来た日、スカッとした快晴。そして目前にそびえる壮大な立山連峰に「なんだこれは!」と家族一同驚きました。
「田舎暮らしといえば平屋で庭付きの町営住宅がある」と思い、情報収集のため役場へ足を運ぶも休日で当直の方のみ。「そんな家はない。町営団地は3階建て」と言われ「理想と違う」と帰ろうとした時、偶然、役場の方が降りてこられ話を聞いて下さいました。すると「わしの村に空き家があるぞ。せっかく来たんだし、お土産に見ていったらいい」といわれるがまま山手の方まで上がっていきました。理想の家とは少し離れていましたが、その後も心配して電話を下さったりと、何か心に留まるものがあり「ここにしよう!」と決めました。

 

何があっても「まぁ、いっか」

立山町に移住し最初は右も左もわからず、とにかく出会う人には大きな声で挨拶を!と心がけていました。そして、気にかけて下さった方が地域の方に声を掛けて下さり、すっと溶け込むことができました。本当にありがたかったです。
慣れてくると玄関に野菜がどっさり置いてあったり、出かける時に声をかけて下さったり、「困ったことがあったら言われ、あんたらも親戚みたいなもんやちゃ」と言って下さったりと、本当にうれしいです。
もちろん嫌なことや困ったこともあります。でも、自分たちはこの集落に入れてもらったので、ここのやり方にあわせていくことも必要ですので「まぁ、いっか」と思うようにしています。また、都会では何でも買える生活ですがこちらではないものもあります。そんなときも「まぁ、いっか」と思い「じゃぁ、そこからどうしよう」と考えます。不便な里山ですが、周りの人が良いから「ここで暮らしていきたい」、そう思えるんです。

 

家族で決めた決断

富山への移住を決めてから何度も家族で話し合いました。全員が自分自身で決めないといけない、自分が決めたことだから何かあっても人のせいにできない。子供たちも含め、よく話し合い決断しました。
最初の1年は家族全員が全力で頑張っていたと思います。そのためか、家に帰ってきて関西弁でしゃべることがほっとできる時間でした。
地域の行事には夫婦ともになるべく参加するようにしています。移住前は「移住したら時計も手帳もいらなくなるかも」と話していましたが、実際ないと大変なくらい。大阪時代より忙しくなっているかも。私は、ロッキングチェアに揺られて過ごそうと思っていたのに・・・理想とは違いますが、とても充実しています。
今は地域にもすっかり溶け込み、夫婦それぞれのコミュニティができました。時々、家族に「こっちに来てよかった?」と聞くと、「うん」と答えてくれるので、良かったんだ、と思います。

 

目標は「田舎のおばあちゃんになること」

移住後はのんびり暮らそうと思っていましたが、周りを見ると皆さん働いておられます。それを見て「働かないと!」と仕事を探し始めました。せっかく働くのであれば地元に関われることがしたいと思い、立山町地産地消加工施設で働き始めました。働く中で、地元のものを使った料理、地元の味や作り方を知ることができました。
大阪時代から、梅干しや味噌づくりに興味を持っていました。立山町に来てから梅干・味噌のみならず、干し柿、きゅうりのパリパリ醤油漬など、ご近所さんにやり方を教わり作っています。今は、米粉を使った麺づくりにチャレンジし始めたところです。
そして、いつかは「田舎のおばあちゃんになる」のが夢。軒先に大根を干し、石鹸を手作りし、草木染をする・・・そういう自然の中で共生し、「買う」ことより、昔ながらの「作る」生活を楽しんでいきたいです。

 

当たり前のことに感動する日々

立山町にきて、お米がおいしい、水がおいしい、空気がおいしい・・・そんな普通のことに日々感動しています。満点の星空の美しさ、鳥のさえずり、蛍が舞う景色に癒されます。そして、「水のおいしいところに移住したい」と思っていたので、この理想は叶いました!
大阪では何でも手に入りましたが、ないモノも多い。でも、モノに頼らず自分で考えて作っていく、そんな生活になりました。
当たり前のことが魅力的。
8年経ち、すっかり生活にもなれました。でも、いまだに雪や寒さには慣れません。。。が、薪ストーブをとり入れ、パチパチと音をたてる炎に癒されています。

 

移住アドバイス:大切なのは「人」

1回しかない人生だから後悔しないようにしてほしいと思います。移住は体力も精神力も必要。年をとってから来ようと思っていましたが、今のようなパワーはないと思いました。思ったときに来てよかったです。勢いも必要だと思います。また、理想ばかり追っていてはだめ。理想は理想として持っておいたらいいですが、大切なのは「人」。人とのつながりが大事だと思います。

 

このインタビュー記事の問合せ先

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「くらしたい国、富山」推進本部(富山県 総合政策局 移住・UIJターン促進課)

TEL:076-444-4496

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HP:「くらしたい国、富山」

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